東京地方裁判所八王子支部 昭和48年(ワ)1132号 判決 1975年10月31日
原告
坪田高行
被告
三幸自動車株式会社
主文
被告は原告に対し金三二六万六七八四円およびこれに対する昭和四九年一月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は、これを五分し、その二を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
この判決は、第一項に限り、かりに執行できる。
事実
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し六二七万六七〇五円およびこれに対する昭和四九年一月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。
原告訴訟代理人は、請求原因として
一 事故の発生
昭和四二年一二月九日午後〇時二〇分ころ、東京都東久留米市上ノ原一―四先の東久留米団地内の道路上で、訴外沢田正一運転の営業用普通乗用自動車(多摩五き一〇三七号、以下「加害車」という。)と道路を横断中の原告とが衝突し、原告が傷害を負つた。
二 責任原因
被告は、加害車を所有し、自己のために運行の用に供していたのであるから、自賠法三条により、本件事故によつて生じた原告の損害を賠償する責任がある。
三 損害
原告は、本件事故によつて頭部打撲傷の傷害を負い、事故当日から二〇日間入院し、その後昭和四八年二月一五日までの間に三八日間通院したが、頭部外傷後遺症として脳波異常知能低下、性格変化等の症状が残り、現在も抗痙れん剤を継続して服用している。
そこで、原告の請求する損害は次のとおりである。
(一) 治療費 一五万九九五五円
(二) 通院交通費 二万〇七五〇円
(三) 付添費 四万円
原告の前記入院期間中、病院から付添を要請され、母親がこれにあたつたので、一日二〇〇〇円の割合による二〇日分。
(四) 入院雑費
一日三〇〇円の割合による二日分。 六〇〇〇円
(五) 将来の治療費 一〇〇万円
原告は、昭和四五年一月七日の検査以来何回か脳波検査を受けているが、その間に一回正常の結果が出ただけで、全体的には異常という結果が出ており、今後脳波が正常化する見込みはほとんどない。
従つて、原告は一生涯抗痙れん剤の服用を続けなければならないと思われるが、今後の抗痙れん剤の服用、脳波検査に要する費用を昭和四八年一一月一七日から昭和五〇年五月一六日までの一か月平均の治療費三三七〇円を基礎にして算出すると、次のとおり一〇三万二六三五円となり、原告はこのうち一〇〇万円を請求する。(二五・五三五は余命年数三五年に対応する新ホフマン係数)
3,370円×12か月×25.535=1,032,635円
(六) 逸失利益 二〇〇万円
原告の後遺障害は前記のとおりであり、自賠法施行令別表一二級(労働能力喪失率一四パーセント)に該当するところ、原告は、昭和四五年後遺症確定当時一〇歳であり、就労可能年数は四九年であるから、新ホフマン係数一九・五七四、一八歳の男子平均給与月額六万二五〇〇円(昭和四七年度賃金センサスによる)を基礎として、右後遺症による逸失利益を算出すると、次のとおり二〇五万五二七〇円となり、原告はこのうち二〇〇万円を請求する。
なお、右逸失利益が認められないときは、予備的に右二〇〇万を次の慰藉料に加算して請求する。
(七) 慰藉料 三〇〇万円
原告は、事故当時健康な幼児で、通園していた幼稚園においても行動面、知能面でずば抜けて優れているとの評価を受けており、研究者である父親も将来を非常に楽しみにしていた。ちなみに、昭和四二年一一月ころ幼稚園で施行された知能検査によると、原告のI・Qは一三〇であつた。
ところが、現在では前記頭部外傷後遺症のため軽い言語障害、脳波の異常、著しい知能の低下、記憶力の減退、動作の鈍化等の症状をきたしており、今後右後遺症が現状より軽快する見込みの薄いこと、脳波の異常がある限り抗痙れん剤の服用を続ける必要があること等を考え合せると、はたして将来自力で生計をたてていけるものかどうか多大の不安を感じている。
事故当時原告を幼稚園に送り迎えしていた同人の祖母坪田ひなは、事故当日たまたま身体の具合が悪く送り迎えができなかつたのであるが、その間隙に原告が事故にあつたことを苦にして、以後急激に病状が悪化し、昭和四三年一月一八日死亡するに至つた。
その他、本件事故につき被告には誠意が認められないなどの諸事情に鑑み、原告が受けた精神的苦痛に対し三〇〇万円の慰藉料が支払われるべきである。
(八) 弁護士費用 五万円
原告は、本訴の提起、追行を本件原告訴訟代理人に委任し、着手手数料として五万円を支払つた。
四 結論
よつて、原告は被告に対し、六二七万六七〇五円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和四九年一月一一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
と述べ、被告主張の抗弁に対する答弁として「原告の過失を否認する。」と述べた。
被告訴訟代理人は、請求原因に対する答弁として
第一、二項は認める。
第三項のうち、冒頭の事実および(一)ないし(四)および(八)は不知。(五)、(六)は否認し、(七)は争う。
原告の脳波は、昭和五〇年一月七日の検査施行時、軽度の異常を認める程度である。この点について、被告は本件事故との関連性を全く否定するものではないが、脳波異常があつても病気の症状を表わすとは限らないし、脳波は健康人でも一〇〇人に約一〇人が異常を示すといわれている。特に脳の働きが十分に完成していない一七歳以前には正常でも異常波が認められるから、原告の右症状が本件事故と関係があるとは断定できないと考える。従つて、脳波に異常があるから直ちに後遺障害等級一二級に該当すると考えるのは早速である。かりに一二級に該当するとしても、労働には通常差し支えないから、逸失利益を請求することはできない。
なお、原告は、逸失利益が認められない場合は、同額を慰藉料として請求する旨主張するが、もしこれを認めるとすれば、証拠によつて認定できない財産的損害を慰藉料によつて認定することになり、証拠に基づかない認定、さらには慰藉料の定額化傾向にも反することになり不当である。
と述べ、抗弁として
訴外沢田は、本件事故現場付近の道路左側にバスが一台停止し、左側道路に乗客が降車していたので、バスの後方四、五メートルの位置で一且停車した。そして、乗客が全部降り終り、かつ、道路右側を横断する人もなく、前方の安全が確認されたので、時速五キロメートル以下の速度でバスの右側を進行したところ、突如バスの前から原告が飛び出して来て加害車に接触した。
事故発生地点から前方三〇メートル地点に横断歩道があるのに、原告はバスの前を漫然と横断した過失がある。当時原告は五歳であつたが、事理弁識能力はあつたと考えられ、かりに右能力がないとしても、原告の右行動は客観的に危険な行為態様であるから、過失相殺の対象とすべきである。
かりにそうでないとしても、幼児を危険な場所に放置していた監護義務者である両親あるいは祖母坪田ひなの右義務違反は重大である。
よつて、被告は過失相殺を主張する。
と述べた。〔証拠関係略〕
理由
一 事故の発生
請求原因第一項記載の事実は当事者間に争いがない。
二 責任原因
請求原因第二項記載の事実は当事者間に争いがない。
三 損害
〔証拠略〕によると、原告は、本件事故によつて頭部打撲傷の傷害を負い、間もなく昏睡状態に陥つたため、直ちにベトレヘムの園病院に入院し、約一週間絶対安静の状態で治療を受け、二〇日後の昭和四二年一二月二八日同病院を退院した後、脳波検査等のため、同病院に約五回、虎の門病院に昭和四四年一二月二六日から昭和四八年二月三日までの間に三六回、杏林大学病院に同年一一月一七日から昭和五〇年七月一二日までの間に約一〇回、それぞれ通院したこと、右退院当時およびその約六か月後に行なわれた脳波検査の結果では、脳波に異常が認められなかつたが、その後右傷害による脳波の異常が現れ、昭和四四年一二月以降毎年約二回行なわれる定期検査の結果は、昭和四五年一二月に正常の結果が一回出ただけで、最近の昭和五〇年一月七日の検査でも軽度の異常が認められたこと、そのため原告は、毎日二回抗痙れん剤を継続して服用していることが認められる。
そこで、以上の事実を前提にして原告の受けた損害について具体的に検討する。
(一) 治療費 一五万〇〇三四円
〔証拠略〕によつて認める(ただし、文書料を含む)。
(二) 通院交通費 二万〇七五〇円
〔証拠略〕によつて認める。
(三) 付添費 四万円
〔証拠略〕によると、原告は、前記二〇日間の入院期間中、付添を要する状態にあり、母親坪田タヅエの付添を受けたことが認められるところ、その費用相当の損害は一日二〇〇〇円の割合による合計四万円と認めるのが相当である。
(四) 入院雑費 六〇〇〇円
原告が二〇日間入院したことは前記のとおりであるところ、その間に要した入院雑費相当の損害は一日三〇〇円の割合による六〇〇〇円と認めるのが相当である。
(五) 将来の治療費
事故発生後約八年を経過した現在なお脳波に異常が認められるため、原告が定期的に脳波検査を受けるとともに継続して抗痙れん剤を服用していることは前記のとおりである。そして、〔証拠略〕によると、原告は、右検査料および薬代として今だに年間七万円程度の支出を余儀なくされていることが認められ、〔証拠略〕によると、原告の右状態は今後長く続く可能性が大きいものと診断されていることが認められる。
しかしながら、原告の脳波異常の状態がはたして今後何年間続くのか、生涯原告は脳波検査を受け続け、かつ、抗痙れん剤を服用し続けなければならないのかどうか、当裁判所としてはこれを具体的に認定することができないので、煩わしいことではあろうが、原告としては、今後要する右費用〔証拠略〕の昭和五〇年七月一二日支払分までは前記治療費一五万〇〇三四円に含まれているので、その後の分)を現実に出捐した段階でその都度被告に対しその賠償を求めるべきであつて、この段階で将来の治療費相当の損害賠償をあらかじめ請求することはできない。
(六) 逸失利益
原告に脳波異常が認められることは繰返し述べたとおりであるが、前記のとおり今後の見通しについて判然としないのみならず、脳波異常それ自体が稼働能力にはたして影響があるものかどうか疑問である。
従つて、逸失利益についてもこれを認容することはできない。
(七) 過失相殺
〔証拠略〕によると、本件事故は、東久留米団地内を通る幅員約六メートルのコンクリート舗装道路上で発生したものであり、訴外沢田は、加害車を運転して右道路を直進中、乗客を乗せて先行するバスが進路前方のバス停留所に停車したので、道路の右側部分に進出し、バスの右側からこれを追越そうとした際、バスから降りてその前方道路を小走りで横断中の原告に自車を衝突させたことが認められ、右事実によると、原告は、道路を横断するにあたり、右方の安全を確認すべき注意義務を尽さなかつたものと認められる。
しかしながら、原告は当時五歳の幼稚園児であり、通常は左方から来る車両が進行する道路部分を、逆の右方からやつて来た加害車にはねられたものであり、これに対し、訴外沢田は、当時バスの乗客がその前方を通つて道路を横断するおそれが多分にあつたのであるから、道路の右側部分を通つてバスを追越すからには、右横断歩行者の有無を十分確かめ、バスの前方から自車の進路上に歩行者が進出して来たときには、直ちに停止できる速度で進行すべき注意義務があるのに、これを怠つたものであつて、訴外沢田の不注意の度合いは、原告のそれに比しはるかに重大である。しかも、原告の財産上の損害は、前記のとおり、いずれも治療関係の費用に関するものであり、かつ、合計二一万六七八四円であつて比較的少額でもあるから、原告の右不注意は、慰藉料の算定にあたつて斟酌するにとどめ、財産上の損害額を算定するにあたつてはこれを考慮しない。
(八) 慰藉料 三〇〇万円
〔証拠略〕によると、原告は、事故当時健康で、かつ、知能の勝れた活発な幼児であつたが、本件事故を境に性格の変化をきたし、無気力で集中力を欠くようになつたうえ、知能の面でも、事故前の昭和四四年三月に行なわれた知能テスト(田中ビネー式)の結果では、I・Q一二〇であつたのが、昭和四九年一月のテスト(鈴木ビネー式)では九九(鈴木ビネー式)に低下し、学校の成績も、小学校六年間を通じて、主要課目はほとんど「やや遅れている」部類に属する状況であること、原告の父親坪田博行は大学教師であり、長男である原告にかける期待が大きいだけに、原告の右のような現状に対する心痛も並大抵のものではないことが認められる。
そこで、原告が前記傷害を負つたことによる精神的苦痛を慰藉すべき額は、以上の諸事情に鑑み、三〇〇万円と認めるのが相当である。
(九) 弁護士費用 五万円
原告が本件原告訴訟代理人に本訴の提起追行を委任したことは記録上明らかであるところ、その費用相当の損害は、本件訴訟の経過等の諸事情に鑑み、原告の請求する五万円を下ることはないと認めるのが相当であり、〔証拠略〕によると、右五万円は着手金として既に支払済みであることが認められる。
四 結論
以上の理由により、被告は原告に対し、本件事故による損害賠償金三二六万六七八四円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和四九年一月一一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告の本訴請求は、右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとする。
よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 小長光馨一)